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何度も挑戦する彼らに希望を届けるために

はじめまして、育成事業部でプロジェクトコーディネーターをしている山田です。今回の記事では、「私自身が経験してきた過去」「これからみなさまとWELgeeで成し遂げたいこと」についてお伝えしていきたいと思います。

希望を持ち、何度転んでも立ち上がり続けた日々

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「七転び八起き」――何度倒れても、八度目には必ず立ち上がれる。

私は、これまで多くの困難に直面するたびにこの言葉を自分自身に言い聞かせてきました。そのため、失敗しても、負けても、最後には必ず成し遂げられる。この信念こそが、これまでの私を支えてきました。

最初の壁は自身のバックグランドにありました。

ーーー 1985年、私はサウジアラビアでシリア人の両親のもとに生まれました。幼少期はサウジアラビアで過ごし、夏休みには家族とともにシリアへ帰省するという「二つの世界の間」での生活でした。

そこから、2002年に大学進学のためにシリアの首都・ダマスカスへ移り、土木工学科に入学しました。しかしそこで気づいたのは、サウジアラビアでは「シリアの外国人」、シリアでは「サウジアラビアの外国人」と呼ばれること。

自分の居場所、アイデンティティのあいまいさでした。この経験を通じて、私は誰かと交流するときに慎重に、相手の背景や文化から学び続ける姿勢を持つようになりました。

もう一つの大きな出来事は2010年に起こりました。

それは、当時大学を卒業してグローバル企業に就職していた時に父親を癌で亡くし、長男として家族を支える責任を突然背負うことになったことです。それから、妻、息子、母、そして幼い兄弟3人を守るため必死に働く中、シリアで戦争がはじまり家族の安全を守るために2013年にレバノンに移住しました。

レバノンでの生活は非常に厳しく、ビザの取得や移動に関しての制限がありました。当時、ヨーロッパなど他の国を徒歩で目指す事も考えましたが、子供達には危険すぎて現実的ではありませんでした。

そのような生活の中、2017年に当時JICAが実施していたプログラムにより日本へ渡航することになりました。日本での生活は、大学院で学びながら、安定と安全を得る事ができるものでした。もちろん、日本語が分からず不安ではありましたが、日本人の方々のおもてなしの心と温かい支えによって、前に進むことが出来き、「ここでの生活を続けたい」と思うようになりました。

「今彼らに会うと、何を言わずとも私の気持ちを理解してくれているように感じます。当時を振り返ると、当時お世話になった方々に心からの感謝の気持ちがあふれてきます。」

ただ、日本での就職活動では非常に厳しいものでした。日本二木てすぐ日本語を学び始め半年でN3を取得しました。しかし、80社以上の面接を受け、不採用が続きました。当時、日本語での日常会話はできましたが、専門分野での日本語力は不足していました。さらに、日本での職務経験がない状態で33歳からの挑戦。シリア出身という背景も誤解や不安を生む要因となり、苦戦していました。

面接時に、担当者の方がシリアについてほとんど理解しておらず、インターネットで検索しては戦争や破壊の映像を目にする事で、私を信頼してよいのか迷っていたのだと思います。

そうして、数々の企業から不採用の通知が届く中、50社目で不採用となった時には、妻が完全に希望を失ってしまっていました。しかし、自分ならきっと道を見つけられると信じていました。

そして、、ついに東京の設計会社で施工管理として働くことができるようになったのです。

信じたからこそ、見えた光でした。

この経験を通して、私が感じた事は、もし、あのときWELgeeのような存在に出会えていたなら、私はどれほど救われただろう」ということです。

日本で新しい人生を始めたいと願っていたあの頃の私にとって、「あなたには未来がある」「可能性がある」と伝えてくれる人が一人でもいたなら、それがどれだけ大きな力になったか、言葉では言い表せません。私はただ、一筋の希望を探していました。

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私は現在、2人の子を持つ父親です。長男は柔道で栃木県準優勝、次男はサッカーに情熱を注いでいます。彼らの姿は、私にとって未来そのものです。私は彼らの夢を全力で支え、成功を願っています。

帰化し、日本国籍を取得したとき、私は「ここが本当の故郷になった」と心から感じました。単なる書類上の変更ではなく、日本の一員として生きることの証でした。名字を「山田」に変えたのも、日本社会に溶け込むための象徴でした。冗談半分で「ヤマダ電機の割引があるのでは」と期待しましたが、それは叶いませんでした(笑)。それでも、日本に帰化できたことは、私と家族にとって大きな誇りです。

そして今、私は「希望を待つ側」ではなく「希望を届ける側」になりたいと思っています。かつての私のように暗闇の中で苦しむ人々に、「あなたは一人ではない」「あなたには未来がある」と伝える存在になりたい。

もちろん、この道は私一人の力では実現できません。皆さまの支えと協力があってこそ、多くの人々に光を届けることができます。私の夢は、自分がかつて望んでいた存在になること。そして日本で希望を失いかけている人々に手を差し伸べ、新しい人生をともに切り開いていくことです。

共に生きる社会のために「希望」を届ける

現在、8月13日から1か月間WELgeeファミリーキャンペーンを実施しており、残り10日間になりました!目標は、新たに200名の方にWELgeeファミリーとして応援してもらうことです。

山田さんのように、新たな人生を歩むために希望を持ち、挑戦する人々を支えるため。希望を届け、共に生きる社会をつくるため、みなさまの力が必要です。

ご支援は月額1,000円から。無理のないペースで参加して頂けます。頂いたご支援は、日本に逃れてきた難民のキャリア構築の伴走や、日本企業とのマッチングのために大切に活用します。境遇に関わらず、ともに未来を築ける社会を実現していくためです。

社会を変えるには時間がかかります。

しかし、あなたの支えが誰かの背中を押し、それは連鎖していきます。

その小さな積み重ねが、未来を変える力になります。

すでにWELgeeファミリーの皆さまは、応援ありがとうございます🌸 さらに金額を増やして応援いただくことをご検討いただけるととても嬉しいです。
金額を増やして、もっと応援する

※ WELgeeの「難民」の考え方
難民が生じる背景や社会情勢が多様化・複雑化する中で、従来の難民の定義にとどまらない多くの人々が、祖国を追われる状態に置かれています。WELgeeは、在留資格問わず、命の危険があって現在母国に戻れない状態にある人を活動の対象としており、認定難民・補完的保護対象者・難民認定申請者・後発的難民(帰国困難な状態にある元留学生等)・緊急避難措置対象者(ミャンマー・スーダン等)などを含んでいます。うち、原則、現在あるいは近い将来において、就労許可がある方/就労許可取得予定のある方を就労伴走事業の対象としております。

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